2015-04-24 第189回国会 衆議院 財務金融委員会 第9号
一九七八年の朝日ジャーナル、本田宗一郎と藤沢武夫という連載がありまして、この記事をずっと私は当時も今も時々読んでいます。やはり創業者のスピリット、精神がずっと創業者がやめた後も引き継がれて、八六年から開発を始めて二十九年たって百機を超えて受注されているという話を伺いまして、今の日本の企業の中でなかなかこういう会社は少ないと思っています。
一九七八年の朝日ジャーナル、本田宗一郎と藤沢武夫という連載がありまして、この記事をずっと私は当時も今も時々読んでいます。やはり創業者のスピリット、精神がずっと創業者がやめた後も引き継がれて、八六年から開発を始めて二十九年たって百機を超えて受注されているという話を伺いまして、今の日本の企業の中でなかなかこういう会社は少ないと思っています。
さっきの、本田さんの話から最初にスタートしておられますけれども、本田宗一郎という人だって五反田のオートバイ屋さんですよ、あの人は。
かつての日本の本田宗一郎さんとかソニーの盛田さんとかそういうことも含めて、どうやったら、ないところに物を、価値を生み出していくかということを教える教育というのをやらないと。そして、今ごろ四千万円というのは、二桁、桁が違うんじゃないかという気が私はしますね。三桁かな、二桁違うと思います。 どう思いますか、大臣。
ただ、この経営能力ということを例えば学歴で推し測ることができるのかといえば、松下幸之助さんは小学校しか出ておられないし、本田宗一郎さんも別に有名大学を出ておられたわけでもありません。例えば京セラの稲盛さんは鹿児島大学の理工学部か工学部だったと思います。しかし、言わばそれとは畑違いの経営においてすばらしい手腕を発揮しておられる。
例えばですが、本田宗一郎さんや松下幸之助さんのようにリスクに挑戦してオンリーワンのものを開発した。そうしたら、その人と一緒に多くの日本人もまた豊かになることができる。 その意味において、私はリスクに挑戦できる法制度というのが必要だと考えておりますが、麻生大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
また、科学技術では、湯川秀樹や本田宗一郎、iPS細胞の山中伸弥先生、そしてはやぶさプロジェクト、書かれておりました。スポーツの松井秀喜選手や、先ほど命のビザ、ナチスに迫害されたユダヤの人々に命のビザを発行した外交官杉原千畝さんとか、国連、難民を救い、難民の母と言われている緒方貞子さんなどもございます。
松下幸之助翁や本田宗一郎氏の言葉を出すまでもなく、日本の強さは、人を大切にするチームワークにあるのです。 総理、意味のある経済成長を実現したいのならば、浅はかな人切り、切り捨て政策を改め、雇用の成長に軸足を置く底上げ政策に転換すべきと考えますが、いかがですか。 以上、本法案の課題の一部、アベノミクスの危うさのごく一部を指摘いたしました。
チャレンジして失敗しても、それは前進への足跡であり、大いに奨励すべきもの、しかし、失敗を恐れて何もしないのは最低だ、本田宗一郎さんは、こう述べて社員たちに奮起を促したといいます。先人たちのこうしたチャレンジ精神が日本を高度成長へと導きました。 しかし、日本人は、いつしか自信を失ってしまった。長引くデフレの中で萎縮してしまいました。
チャレンジして失敗しても、それは前進への足跡であり、大いに奨励すべきもの、しかし、失敗を恐れて何もしないのは最低だ、本田宗一郎さんは、こう述べて、社員たちに奮起を促したといいます。先人たちのこうしたチャレンジ精神が、日本を高度成長へと導きました。 しかし、日本人は、いつしか自信を失ってしまった。長引くデフレの中で、萎縮してしまいました。
○茂木国務大臣 宮崎委員、二十六歳で学生を支援する自分の企業を立ち上げたり、ビジネスの経験があられるということですが、おっしゃるとおり、かつての日本には、松下幸之助、盛田昭夫、そして本田宗一郎、すぐれた経営者の方がたくさんいらしたと思います。 ソニーのウォークマンのお話をされましたけれども、盛田昭夫さんが最初にアメリカにトランジスタラジオを売りに行きます。なかなか売れない。
例えば本田技研ですと、本田宗一郎と藤沢武夫です。藤沢武夫が全部、マネジメント、経営はつくりました。ですから、昭和四十年代に藤沢武夫はこういうことを言っているんです。現代の経営というのは現代音楽を指揮するようなものだ、パート、パートがそれぞれの旋律を奏でながら全体としてハーモニーになる。
満たす見込みがあるかで、この自己資本当期純利益率二ポイントとかいろいろ言われても、分かりませんが、例えば松下幸之助さんとか本田宗一郎さんがこのような概念を知っていたとは私は思いません。この頭でっかちなのが経営の立て直しに本当に役に立つのかというのも、是非この機会に真摯に御検討をいただけたらと思います。
「ホンダの創始者、故・本田宗一郎氏は「マスキー法は天の助け。後発のホンダが開発競争に勝てば世界一のメーカーになれる」と語ったという。日本車は国際競争力を高め、今、世界市場を席巻する。」 これをもう一回やろうと言っているんですよ。もう少し明るく考えた方がいいと思いますよ。
そういう中から、天才本田宗一郎さんの会社が伸びてきたと。さらに、二番目の天才鈴木さんの会社が伸びてきたと。多分、数百社の中から伸びてくる会社がそのスモールハンドレッドの中から出てくるだろうと。一方で、企業名を出して恐縮ですけれども、トヨタさんは初めから高いレベルの技術を目指してスタートしたと。ホンダさんとトヨタさんが会社をつくった年ってほとんど同じなんですね。
かつての経済界を支えた土光敏夫さん、本田宗一郎さん、井深大さんたちは、リストラというのは最後の最後にしかやってはいけないことだと言われたと聞いております。 総理は、私は経営者だと衆議院の予算委員会で我が党の菅直人さんにたんかを切られましたけれども、この国の総理は最高責任経営者です。企業経営者と違って、この国の経営者である総理は国民をリストラすることはできません。
かつて、松下幸之助さんや本田宗一郎さんは、国の労働基準法の精神に沿って、法律で明記される以前から週四十時間労働を実現してきました。その考えは、働く者があっての企業なのだという精神がまだ経営者の中にあったと思います。労使がこのルールを遵守することで、労使関係の安定があったと思います。
これは本田宗一郎さんも、経営者になったら、経営者が考えるべきことはその従業員、社員の家庭を守ることだとおっしゃった言葉がありますように、以前はそういう倫理観があった、企業の倫理としてもあったんだと思うんです。それがなくなってきたから、一部の上層のところにとどまってしまっている、下流まで流れてこないと。
○政府参考人(山本繁太郎君) 非常にたくさんのことをおっしゃったんで、ちょっと私の方からコメントをする言葉もあれなんですけど、今お話伺いながら、私、若いときに熊本県庁に勤めたことあるんですけど、熊本県に本田製作所の二輪の工場がありまして、その関係で本田宗一郎さんの社員に対するメッセージをつづった本を読ましてもらいまして、その中に本田製作所で物づくりに取り組む社員の喜びというのを書いた部分がありまして
本田宗一郎の話を聞きますと、むしろ、企業に入った以上は、もう学歴だとかじゃなくて、やはり本人の意欲であり、力だ、やる気だ、それからまた実際は実績だ。今まで、どちらかというと、どこかの一流大学を出て一流のことをやっていけばそれがすべてそのとおりエスカレーターで上っていくんだと、そういう社会じゃだめだというようなことで今のホンダがあるんだという話をよく私も聞かされます。
私、松下幸之助さんとか本田宗一郎さんとかが高額所得者に名前連ねられているときは、私は、もう頑張って技術を開発してああいう会社をつくられて、で、それなりの所得を得られるというのは非常に、別に、よく頑張られたなという気持ちはあるんですけれども、今この高額所得の名前が出てくる人たちは、何といいますか、後で取り上げますけど、自分で働いてというよりも、お金を動かしてとか株でもうけてとか、昔とはかなりこう、特に
といいますのも、私が子供のころ、お金持ちといいますと、例えば松下幸之助さんとか本田宗一郎さんとか、社会に有用なものをつくり出して、運とそして健康に恵まれた方がお金持ちになられると。だから、親は子供に対して、大きくなったら松下幸之助さんのようになりなさいと、こういうふうに言いましたし、またそういう伝記も読みました。